| 薪ストーブの達人 2007/12/28 我が家はショップ、ギャラリーとくっついているこの家に越してきて以来、暖房は薪ストーブ。作って補うことのできない天然資源をそうそう使うのにも気がとがめて、植えて再生できる木材というものをもうひとつの手段に選んだ訳です。 最初の数年は切ったばかりの木は水分が多過ぎて薪としては使えない、という事実さえ知らない有様。自然の事実に無知軟弱な都会育ちです。購入した焚き付けを山程使って、しっかり燃えるまで小一時間近くかかっていました。薪もずいぶん遠く岐阜県から届けてもらっていた。 送料もバカにならないし、不自然だーと思って、今度は近所からの入手を考える。剪定しているお庭を物欲しそうに眺める日々。友人が剪定した小枝やら、家具制作のあまりやらを「焚き付けに」と譲ってくれるようになり、狭い庭に乾燥の甘い薪を寝かせる場所も作りました。神奈川県内で入手できるところを見つけたし、着火から100℃に持って行くまでにかかる時間も約15分。あ〜、5年目にして。しみじみ。 スイッチひとつで手に入るのが当たり前っておかしいよ、なんて思って導入したんだけど、この数年冬になる度「やっぱりスイッチポンがいい〜!」と何度思ったことか。 | ![]() |
![]() | 好きということ、愛するということ 2007/11/29 秋の間、ずっと思うことがあって「愛する」ということは何だろう?というのだった。 好き嫌いというのは感情であって、どうにもならない。好きは好きなんだけれども「愛する」ということができない人というのが確かにいる。つまり好きだけど面倒は見られないとか、持続的にその対象のために貢献し続けることができない、状況いかんで変わる人、関心を維持できない人。 そして例えば私は好きではないが「愛する」ことがどうやらできるらしい。もちろん好きな対象を愛する方がずっと容易いんだけど。そんなことを考えているうちにちょっと驚きの発見が自分の中にありました。それは「好き、嫌い」は感情であって、「愛する」というのは動作なのだ、ということだった。 私は犬や娘が好き、縫い物が好き、仕事が好きだ。そして、それを愛することにしようと決意すると、行動が生まれる。つまり観察して、育むこと、何か役に立とうとすること、すなわ |
| ち動作が生じる。言い換えれば「愛しむ」「慈しむ」「可愛がる」でもいいのだと思う。でもその動詞にははっきり動作の意味が含まれる。「好き」よりもうひとつ深く進む、責任とセットで生まれる動作なんですね。そう言えば、教会での結婚式では神父さんの質問に対して「Yes, I will」と答える。このwillは未来形じゃなく意思のwill。なんだかすっきりと腑に落ちた、気持ちのいい発見でした。 一度「愛する」と決意して始まったことを投げ出さないというのは、取りも直さず、自分との約束を果たすことなんだなぁ、と。 |
| 秋の真ん中を蜘蛛が活躍 2007/11/13 秋だな〜と思い始めた頃から、我が家の庭には蜘蛛が大活躍。うっかり自転車を停めに歩を進める額に蜘蛛の巣にひっかかる。車のサイドミラーと樹木を繋いで見事な巣が毎日完成しているような状況でした。これはどうも、我が家だけでないらしく散歩でたくさん見かける。風の少ない日は特に建築が容易なようです。 ヒトは蜘蛛嫌いか、蛇嫌いに二分されると言うけれど、私はどちらもあんまり好きでも嫌いでもない。その生きる必死さがどちらも健気だなぁと思います。 この蜘蛛はお腹がきれいなマゼンタで、大きめでした。さっさっと上手に巣を張り巡らして行きます。ちょっとふざけて一カ所を破ると違う方向に努力が向かいます。あ〜、なんか、すまんことした。ごめんね。 | ![]() |
![]() | アワはどこ?2007/10/02 フランス語を勉強している娘、英語をまた始めた私はことばの習得についてよく話をします。耳にする頻度で聞こえるようになるし、口にした歴史が話せるようにするというのがやっぱり事実。犬達は形状的にヒトのことばは口にできないのですが、耳はヒト一倍(?)いい。 この頃のアワは「モクさん呼んできて」というと呼びに行きます。そして2階辺りから大声で呼ぶので「無精しないで、そばまで行って呼んでよ」というと、これがまぁ〜ちゃんとそばまで行って呼ぶのです。そしてモクが「あ、そうなの?」みたいな感じでボチボチ階段を降りてくる。アワはそのモクを振り返りつつ、先導します。 犬の躾は○○したらいいことがあった、というゲーム式にするらしいのですが、いまだに吠えるクセをやめさせられない我が家なのに、これだけはどうやら成功してしまったらしい。一階の仕事場から3階の寝室、屋上と縦長の階段状の暮らしが功を奏してしまったようです。 しかしモクの方は全然だめ。「アワどこ?」と言っても「さぁ。どこですかね。」という感じで全然関心がない。アワができるようになったのは、多分ごはんを食べる直前にモク探しがあるからです。原始的な欲求というのは、ほんとに進歩を促す動機になるのね。写真は拾ったボールの中綿を出して達成感に満たされたアワです。 |
| 初めてのホームセンター 2007/09/06 さてさて、アワばかり色々な体験をさせてやっているのもどうか?と討議の結果、今年はアワとモク、スタッフの千秋ちゃん夫妻と私達でキャンプに行ったり。北口の素敵なレストラン「Mokichi」のテラスで食事をしてみたり、なかなか盛りだくさんだった。 そしてホームセンターへも挑戦したのでした。平塚のユニディはペット用のカートが準備されていて、暑い車の中で待たせないでも済む。 最初気が進まないようだったけれど、すぐに落着いたモクさん、さすがに大人。経験豊富です。そして伏せの姿勢でペットカートからドッグフード選び。「あ、こんなタイプのおやつ、食べたことないですよ。」と言っているようでした。「なんだ、ここのお店は種類豊富じゃないですか。オレはこれがいいですね。」みたいな感じ。 ちなみにアワはいつまでも四肢を踏ん張ってキョロキョロ。ドキドキしていたんでしょうね。 | ![]() |
![]() | アワ、初めてのハイキング 2007/07/28 お手、おすわり、待て、伏せ。ずいぶん「出来る犬」になってきたアワ。 しかし、一番の問題行動が「吠えつく」という難題です。これが克服できないと、せっかくのキャラクターもわかってもらえない。可愛がってもらうこともできない重大なこと。それなのにどうしても治せない飼い主ふたり。 そこでDog Event Club主催の「ワンコと行くバスハイク」というのに思い切って参加してみました。日頃モクと離れたことがないアワだから、よけいにいい経験になるかも知れないと思い、私もドキドキしながらの参加でした。 ツアーには主催者のトレイナーの方も同行してくれるので、ご相談もしてみました。3ヶ月の時、飛行機で石垣島からやってきて以来、私、娘、先輩犬のモクと3重の箱入り娘になってしまったアワは「他の人も他の犬もいらない!みんな来ないで!」と叫んでいたらしい。しかも吠えるのがもともと好きらしい。 いや、それは感じていました。気持ち良さそうに上を向いておお〜ん、と吠えたりするもの。 |
| ハイキングはなかなかの上り坂。一番に行こうとするアワを見て「競争が好き」だと思った私です。しかし違ったのね。誰も来ちゃダメ、だから誰もいないところに行こうとする心理みたい。登頂でお弁当を食べている写真の隅っこにいるのがアワです。犬の人がこんにちは〜とやってくると途端にうーっと唸って吠える。ほとほと気疲れした頃、他の飼い主さんが「みんなそうよ。怖いから強いぞって威嚇するのよ。」と。あああ、やさしいおことば、ありがとう。そう、このイベントのよいところは、みんな幾らか心配事はあるってこと。うちの犬が完璧!だなんて飼い主はそういないのですね。 そして、吠えることを止めさせるシンプルなコツを教わって、帰りのバスではアワも爆睡。行きには必死で反対側を向いて避けていたトレイナーの上野さんの脚にアゴを乗せて眠ってしまいました。 |
| バッタ上下関係 2007/07/22 この写真は去年の今ごろ。うっかりアップし損ねたので、一年後の今になりました。我が家の門のところに垂直に登攀中のバッタ2匹です。昆虫関係におよそ不案内な私は、これが親子なのか、夫婦なのかわからない。 ヒト科的観念だと(日本的道徳観念?)親子だったらかわいいなぁと思うけれど。みなさまいかが?意外に老いた母を背負う息子だったり?いや、虫の世界にそれはないだろうな。自立=独立だものね。 しかし、我が家に来たツバメは昨年は大人4羽だった。4羽ってどういう構成だったんだろうか。老夫婦、若夫婦か、友達夫婦か?叔父叔母か? あんまり詳しいことは知らなくてもいいから、初心者向けの「入門、昆虫の世界」みたいな本はないのでしょうかね。 | ![]() |
![]() | 鳥の骨格 2007/07/17 本格的な海のシーズンを迎える頃、浜辺には大きな貝柄が増えました。ごはん屋さんでもお目にかからないような大きな牡蠣の殻がごろごろ。巻貝も冬の頃よりずっと大振り。季節ってそんな風に移るんだなぁ。 そんなふうに思っている私の足元に、博物館で見たことがあるようなものが落ちてる。これは多分鳶くらいの大柄の鳥?見事に形をとどめて、亡くなり、朽ちていったのは砂に埋まっていたおかげなのかも知れません。誰にも壊されることもなく、生きていた時と同じような骨格を保ったまま骨になってる。この砂浜では明日にはもうこの姿はとどめるまいと思う。今日の私がこれに出会うことの不思議を思います。 ますむらひろしさんの「アタゴオル玉手箱」でテンプラくんが「あー、僕を構成するかつてのものが感じられる。僕はクラゲだったり、鳥だったり、女の子だったりだったんだ。」みたいな箇所がある。私の好きな部分なんだけど。そんなことを思い出す瞬間でした。この鳥がやがて朽ちた私と一緒に何かになったりするのだろうか。 |
| 海辺の妙なもの 2007/07/06 いろんなものが打ち寄せられたりしている海岸。 風向きによって漂流物の多い時があります。春から夏は特に多いみたい。漂流物が多いと一見ゴミだらけの浜辺に見えるのだけど、ゴミばかりでもない。海藻や藁くずのようなものも多いのです。流木、貝殻は当たり前として、なぜかまな板やらスニーカーやら、建築現場に打つ「ガス引き込み場所」表示の杭なんかが落ちていることもある。大雨で流されでもしたんだろうか?と思うようなものがあります。 しかし、これはれっきとした粗大ゴミでは?色がきれいねー。遠目からも鮮やかな黄色がくっきりしています。そして有機物に取り囲まれて、すでに正体不明の生き物のようです。元を正せばビールの樽かしら?転がり方といい、見た目といい、理解不能の漂流物に犬達は怖れて遠巻き。 | ![]() |
![]() | 大量の毛皮と思いきや 2007/06/30 岡さんの家の方に行ってみようか?と曇り空の散歩に出ました。目的地近くの駐車場で、車の上に毛皮を干しているらしい。うちも最終の冬物仕舞わないとな、なんて思って通り過ぎようとしたら、その毛皮がむくむくっと動くではないか!複数の猫のひと達だったのです。 翌日岡さんにこの写真を見せた。そしたら「黒っぽいのが龍馬、ふさふさがビビ、茶トラがチビかな?よくうちの庭に来るわよ。」と。お互いに知り合いの大工の村田さんの飼い猫達だったのです。龍馬は飼い主が岡さんの家に遊びに来ると、当然のようにご主人に同行し、ご主人が「お前ここにいれば?」などと言う日には「然り」とそのまま滞在するらしい。そして若い女性に可愛がられるのが大好きらしく、おっさんのくせに可愛い振り。猫もなかなかのキャラです。 |
| 飛んだよ〜。でもここで眠ります。2007/06/23 そして、翌日見ると5羽と小さい1羽がぐるぐる頭上を飛んでいます。まだまだスムースではないけれど、巣を利用したり、トネリコの木にちょっと止まったりしながら、距離を伸ばしているらしい。 あ〜良かった。そろそろ旅立ちです。少し淋しいな。今年のツバメ達はずいぶん安心しているようで、たびたびシャッターを切られても動じなかったし、ドアにちゃっかり止まったりでいろいろ楽しませてくれました。 少しは喪失感があって、また来年ね、などと思っていたら!夕方になって騒がしい。 一家中で中庭に戻って参りました。日が暮れかけて店を閉めた。その後二階の居間の窓から覗くと、ぴたりと寄り添って動かない。どうやらここで夜を明かすらしいのです。 朝はずいぶん早いらしくて、私が起き出す頃には姿がありません。だから、やっぱり旅立ったのだと思ったその夕方も、一家7羽全員仲よくもどってきました。そうか、頃合いを見計らって長い旅に出るまでに飛行距離を伸ばしたり、いろいろご準備があるのですね、きっと。夕方になるといそいそと「戻ってくるかな?」とときめいてしまいます。なんだか実家のお母さんになった気分。 散歩していても、ツバメがさっと宙を切って横に飛んだりすると「うちのツバメじゃないかしら?」なんて思う。特別な感情です、これは。この小さな生き物のおかげで鳥が愛しい。こんな気持ちは初めての経験。ツバメさん一家に感謝です。 | ![]() |
![]() | あれ、置いて行かれちゃったの? 2007/06/20 定休日の昼下がり、声が聞こえないなぁと思って巣をのぞきました。えーっ?ひとりだけ置いてかれちゃった?いつも餌が最後になって、一羽だけ目立って小さいヒナがいたのは知っていました。最近はお父さんやお母さんが、彼をめがけて餌をやっていたのも知ってた。 昨日、クロスロードの高崎コウジさんが来て、巣立ちを見た話を聞いたばかり。やっぱり一羽だけなかなか飛べなかった話です。「ばたばたやってるんだけど、勇気が出ないのか、なかなか飛ばないんだよ。それを兄弟がずっと待ってるんだ。」ということだった。たまごだったのが孵って、ぽやぽやの毛がきれいな羽になるまで見届けて来た千秋ちゃんや私、そしてちょうど来合わせた日本画家の遠藤さんもしばし感動して聞き入ってた。 |
| あ〜良かった。それにほんとだ。 しーんとした昼下がり、一羽だけになったツバメは途方に暮れたように見えた。どうしよう!と一瞬青くなる私。でも昨日の話もあるしね、と辺りを見渡したら、いました。ショップ前の車道の上の電線にまだ若い小振りのツバメがちゃんと5羽。お父さん達はどこへ行ったのだか見かけない。でも、兄弟は待ってるの。青空に黒いシャープなシルエットがきれいです。端の一羽は励ますように時々弧を描いて飛んでみせる。 最後の一羽はコウジさんの話とはちょっと違って、竦んだように動かない。がんばってごらん、と声をかける私が邪魔だなぁと退散しました。なんだか祈るような気持ち。 小さかったのです、この人は人一倍。大きく育ったお兄さんつばめの後ろにいつも隠れていた。それが最近一列横隊になったけど、やっぱり一番壁際の端っこにちんまりと見え隠れしていました。下の写真では5羽しか見えない。右の奥にいたのです、実は。 | ![]() |
![]() | いろいろご利用になります 2007/06/18 フンが頭上から落ちてくるので、ショップのドアを締め切って過ごすのが、毎年のこの時期の習慣です。 しかし、空梅雨なのか、ヒナが孵った梅雨入りした頃から、すっかり雨が降りません。さすがに暑くてドアを開けることにしました。でも、「フンが...」の注意下げ札はそのまま。くぐり抜けて入っていらっしゃる方はリスク覚悟でお願いしようということになりました。 そしたら、ドアの厚みが親ツバメの格好の休憩スポットになってしまった。中庭のトネリコの木で一休みが定番だったのだけどね。 |
| 今年のツバメは鈴なり 2007/6/16 例年のツバメ一家ですが、今年は家のリノベーションから始まりました。小石で補強していた。そのせいでか、大家族です。5月の最後から卵を温め始めて、孵ったと思ったらむくむくとこんなに大きくなった。 全部で6羽いるらしい。奥の方にいる一羽が小柄で、ちゃんとあいつがごはん食べるだろうか?と心配してました。しかしもう満員状態ですね。立体感溢れていて、コロコロしててすごくかわいい。心なしか、うちのメンバーには多少気を許しているような気がしちゃうぞ。胸の羽もツバメらしく白く冴えて、日暮れすぐの時間に飛ぶ練習が始まりました。フン避けのため締め切りだったSaponeriaの方のドアを開けたら、お家に入れないお父さんとお母さんのツバメはドアの上で小休止。 | ![]() |
![]() | 道ばたの楽園 2007/05/30 コンクリートで覆われた道の隅っこに雑草が生えているのはよく目にしますね。このちと大きなヴァージョンが鉄砲通りにあります。えっ?!という声に濁点をつけたい位びっくりしました。ちょうどこの小さな楽園の前のお家の方が植木(本来の所有物の方です。)の手入れをしていらしたので、立ち話。 最初はほんとにわずかだったのですって。 どこかから風が種を運んで来たみたい、あらら、花も咲いちゃって、などと横目で見ながら「出来心でほんの少し手を入れたら」こんなに立派なスペースになってしまったのだそうです。植物達の生命力ってなかなかすごい。でも、この方の無言のお茶目さが、それを育てたんだなぁと思うともっと楽しい。 このお家の前庭も確かに素敵。微笑ましくて、そして思いがけない楽しい場所です。Saponeriaより少し平塚よりの南側ですよ。 |
| 鳥達の秘密 2007/05/20 下の欄の、鳥達の水遊びのように見えたもの、あ〜これじゃないかな?と思えるものと遭遇しました。おとなの小指くらいの長さのきれいな小魚。砂浜のあちこちに散りばめたように打ち上がっている時があります。きっとこれが群れて浅瀬にいる時、鳥達がついばみに来るのじゃないかな?私にはいつもと同じキラキラしている波としか見えないのだけど、鳥って目がいいなぁ。 大物の魚も打ち上がる? そうかと思うと、大きな魚が落ちていることがあります。 誰かが釣って放置したのか、傷ついて打ち寄せられ、深みに戻れないのだか。 | ![]() |
![]() | 春の風の強い頃から、今ごろまでは大きな鳥の屍骸が浜辺に点在していることも多い。かもめやら、カラスやら鳶やら。散歩に来た我が家の犬達は、当然、死というものに格別の感情を持っていない。 それにも関わらず、屍骸というのは彼らを畏れさせる何かを放っているらしい。犬達は、最初遠巻きに近づいてから、こわごわと実体に近寄ります。動くんじゃないか、とか言うのでもなく。と、言うのも鳥の屍骸は自然に風化されたか、解体半ばのような状態だったりする。そして、肉食の彼らにとっては食べ物の香りかも知れないのだけど。 面白いな、と思うのはこんな左の画像のようなとき。既に死んでしまっている生き物なのだけど、即、食物というふうにはならないらしく、まず顔を探すのです。そしてクンクン。何だか礼儀正しいぞ、キミタチ。野性の世界では、この後内蔵などに食らい付くところなのだろうか?我が家では、犬達のその後の下痢が嫌なのでたいていこの辺りで、先行くよ〜と声をかけることになるのですが。 そして心中で冥福を祈る、という感じです。海辺はいろいろ人生を見るわ〜。 |
| ところ変われば表示も変わる 2007/04/15でした。 友人と出かけた京都の町で見かけた「犬を飼っています」の表示。毎年狂犬病の予防接種が済むといただくステッカーです。なんだかシンプル&シックなんだよな、これが。 私達は共にアルミ風光沢のある神奈川県獣医師協会作成の犬表示を貼る必要のある身なので「あぁ、京都ってかっこよい」としみじみ思ったのでした。 きたやまようこさんの著作「りっぱな犬になる方法」(お勧め!)に出てくる「人」の説明には「人は犬より棒と点が足りない。足りない分は補ってあげよう。」というのがあります。それを思い出さないでもない。白地にはっきりくっきりした黒文字のステッカーです。 | ![]() |
![]() | 隣の猫さんの日向ぼっこ。2007/04/27 写真は3月の初めだったか。梅がまだ蕾みです。 猫の鳴き声が聞こえてアワが落着かないので、もしや近くに猫さんが定住したかな?と思っていたら案の定でした。お天気のいい日はのんびり日向ぼっこしている猫が2.3匹。これからは過ごしやすい季節になるけれど、雨の日や寒い日は大変です。予防接種も受けられないノラ猫達は寿命も短いと聞く。私はそれでもノラ猫がいた方がヒトのためにもいいと思う。 この頃はノラ犬を見ることができません。確かに野犬は危険性もあったから、全員登録制になったのは仕方ないかもしれない。でも、ノラ犬、ノラ猫が闊歩していた時代にこどもだった私には、おかげでひとつの能力が身に付いたのです。それは「機嫌のいい動物と危険な動物、状態を見分ける力」。危険な動物には近寄りません。 「噛む?」と尋ねてくるこども達を見ると「うーん、噛みそうかどうか、自分でわからない?」と聞き返したくなる。これって必要な野性だと思うのだけど、あまりにも危険というものから隔離されて暮らしていると、本当の危険というものに際して野性が働かなくなってしまうのじゃないかしら?その方が怖い、と私は思う。 |
| 大雨や台風の危険や、高所の危うさに対して鈍くなって行くことは、ヒト科の進化と言えるのだろか?と。 犬を見て全部が「怖い」となるのは「犬」を知らないからです。実は猫しか飼ったことのなかった私も怖かった。飛びついたりするのだろか?何を考えてるのかな、と思っていた。でもレインを飼って見て、猫と犬は大差ないと知ったし、ヒトともあんまり差がない。知らないことは知ってみると世界が広がるのは事実でした。 犬というのはゲームが好きで、ゲームに仕立てると相当のことができるらしい。私がこどもの頃、豆腐屋さんに鍋をくわえてお使いに来ていた犬なんか、うちの娘にも、こども達にも見せて上げたいなぁ。首輪にメモがはさんであって、「木綿一丁」なんて書いてある。豆腐屋さんも心得たもので、鍋に少なめの水を張って木綿豆腐を入れてくれたのです。 |
| わわわっ!蟻だぁ。2007/04/24 いい季節になってきたと同時に、我が家の行き届かない庭のことで焦りまくる毎日です。つまり何もかもが育ち盛りなのが春で、どんな生き物も例外ではないのでした。挿し木も付くし、株分けもできる。植え替えにも適しているという一年に一度のチャンスでもあるだけに、焦っちゃう。 しかし鉢植え程度ならいざ知らず、庭仕事というのは、労多くして、実りはちょっと先なのでひとりは淋しい。「見て見て!」と分かち合う仕事仲間が欲しいものなのです。 そんな理由で、お客さまでもあるガーデナーの白倉さんにお願いをして時々見てもらっています。 写真は共に南側の庭と屋上の草抜きをした翌日の夜のこと。 明日のゴミの日に出さなくちゃと言って持ち上げたポリ袋の下に、いたのです。約1万匹(?)と思われる蟻さん。最初真っ黒な固まりだった。かもじ、と言うのかな?アップする髪のボリューム出しのために入れる、ナイロンの毛の固まりみたいなやつ。あれそっくりだった〜。 ポリ袋の中でふ化したものと推定。わぁ〜っと大騒ぎしているうちにポリ袋を持ち上げる私の腕に這い上って来そうな感じ。やっとこさっとこ庭に放ちましたが、私と娘の毛は多分総立ちだったはず。いやはや、いのち萌え出る春ですかな。 | ![]() |
![]() | 17年間、お疲れさま。2007/04/05 昨年の暮れ近くのことでした。天気のいい定休日に張り切って家事三昧と思っていた。 洗濯機に洗濯物を入れフタを閉める時、いつもカチッと言います。セット、という信号のよう。 それが、その日はふと気になったのです。こんなに何度も繰り返し働いて、それでもフタを閉めると、さぁやるぞとわかってくれる。ずいぶん働いてくれるね、と心の中で声をかけた。そして閉めてセットして洗濯室を後にしたのでした。 そろそろかな?と思って洗濯室のドアを開けてみたら、一面水浸し。慌てて洗濯機内の水をまず捨てよう、と洗濯機をえいっとお風呂場に横にしたら、底が割れて水漏れ。 これは老朽化というのだと思う。こりゃ修理の段階じゃないわ、と思いつつ、少し会話している気分が残る。あ〜、さっきの私のお礼みたいの、通じたの?意味わかった?そうよね。もう17才だもの。でもお礼、ふっと思ったけどね。明日にすればよかった。今日はたくさんあったのよ、洗濯。などと心で言い続ける。 そう、生き物との暮らし、と題しているページですが、昔から私は「モノも意思がある」と信じているところがあるのです。気持ち悪いと思われてしまうかも知れないけれど。 よく、「だましだまし使う」なんて言うでしょう?あれ、私はすごくよくやります。だからいくらかは不便な方が付き合いやすい。あまり便利だと心のどこかで怖いのです。 お礼を言ったら、持ちきれなくなって壊れてしまった17歳の洗濯機の気持ち、わかる気がするって方いると思う。ほんとにこの洗濯機はよく働いた。娘が2歳の時からです。ありがとね。 |
| この鳥は何?そして何をしているの? 2007/3/7 モクとすっかり大きくなったアワの写真を撮ろうとカメラを持って行った海辺で、こんな光景を目にしました。 キラキラ輝く波打ち際に群れなして遊んでいるように見えた。波が寄せるとわ〜っと後退し、引くとまた海に向かうのです。水浴び?餌取り?84歳になる母は田舎育ちで、こんな時格好の質問相手なのだけど。見せるチャンスがないな。 ただし、真否があてにならないところもあって、群れをなす鳥はみんな「むらすずめ」と言う。(「村雀」と長いこと思い込んでいた私が「群ら雀」と言う意味だと知ったのはごく最近のことです。)この鳥は雀より少し大きく、グレー系統の色です。 小魚が海面近くにいるのだろうか?それにしても、犬達に追いかけられて飛び立って行く様子は、「ちぇっ!バカ犬が来たわ。みんな行くわよ!」「オッケー」「ホイキタ」と口様々で言っているような素晴らしい団体行動ぶりなのです。編隊とでも言うのかな、グループの形を変えて飛ぶ様も見覚えがありませんか? どんな方法でコミュニケートしているのだろう?動物の言語について、私は興味が尽きません。 | ![]() |
![]() | 悲しいことを乗り越える。2007/2/20 赤ちゃんを失って一年が経ちました。命日という日は犬達と歩いていると汗ばむくらい温かくてきれいな晴れ。一中通りの角にある気に入りのBanaBanaさんという花屋さんで小さなブーケを作ってもらいました。明るくて可愛くて、それを手に下げて歩く帰り道はなんだかほかほかして。悲しい思い出の日だったのに、何やら少し甘い。 まるであまねちゃんと私だけのお出かけのように感じた一日でした。 妊娠した赤ちゃんごと、家族丸ごと夫に捨てられた我が家。周囲の温かさに支えられて、やっとよじ登って来たような一年だったけれど、そんな私でも誰かを励ましたりすることがある。そんな場面はこれまでの人生で数限りなく経験したことなんだけど、私は少し変わったかも知れないと感じる時があります。 そして、もし私がほんの幾らかでもマシな人になったとしたら、あまねちゃんの生も死も無駄ではなかったと思う。でも、私をマシにするためにあまねちゃんは5ヶ月を生きて亡くなったの?と問いかけると、これからまだまだ効果出てくるはずよ、というおちゃめな女の子の表情が空に思い浮かぶ。 私も娘も犬達も孤独ではないと思えるてしまう。どこか高いところで見つめてくれている存在がある、と。 |