Works of KIMURA midori(Kalokalohouse)
Okara World vol.2

現在進行形の余布再生仕事。2回目の個展です。一度嫌になるほど同じパターンで作ってみたくて、今回は丸手さげばかりの展示。
刺しゅうが目立つことになりました。モノが入れられる花束を目指して制作中です。
ウールを主に使った一回目の展覧会でしたが、今回はリネンとコットンが中心。どうぞご覧下さい。
DMご希望の方はメールでお知らせ下さい。
2007
2006okara





Okara Works

我が家には私より年上の食器棚や、生まれた時からそばにあったような古いものがあります。特に上等の骨董ではなく、そんなものを毎日使っています。もしかしたら、ただの貧乏性?私が育った時代は、みんなが新しいものを買う時代でした。その方がうつくしい暮らしのように思われていたのでした。今では古いものを修理するより、新品を買う方がはるかに安くなりました。それでも私や家族は古いものを修理して使うことが好きです。お金では得にくい何かがあるのかも知れません。そして、時間を経たものが新しいものより好きです。きちっと縁がシャープにできたものより、角が取れて丸くなったものが好き。OKARAのもの作りに知らないうちにインスピレーションを与えてくれているのが、そんな古いもの達です。
制作に一役買ってくれているのは、私が長いこと持っているアンティークの一部です。たいていは旅先で買ったもの。どれも既にぼろで、長いこと誰かに愛されたであろうものです。これはもしかしたら、誰かの「愛着」を買っているのかも知れないぞ?と、思いつつ,旅先のマーケットや古着屋を覗いてみるのが習慣です。
古いものが好きで、更に手に入れたいと思うわけは、古い時代の仕事のよさがひとつ。デザインや手技のアイディアを手に入れたいのがひとつ。そして、新しいものには要求できない「コク」があるのがひとつ。
そして、何よりも私はOKARAのひとつひとつが、時代を経て街のマーケットでじんわりとした鈍い輝きを放つところをイメージしています。そして私のような、暖かいものが好きな人の目にとまってその人のもとに行きまた長く使ってもらえるような。

→左の作品はお客さまからのオーダーで作ったもの。
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honda
works
Design/Planning/Package Design
1998年〜2005年 「がんこ本舗」のネーミングとロゴ制作から始まって、
2005年のまきまきがんこクロスまでの製品コンセプト、パッケージ全般

左は山口県在住の油分の分解が専門の研究者、柳先生の発明した基剤にエッセンシャルオイルで香りをつけたものです。
相談を受けた時、ビニール臭が気になりました。たまたま当時私は鬱病になった家族のためにアロマテラピーを習っていたので、抗菌作用のあるエッセンシャルオイルを添加することを提案したのです。
パッケージは敢えて地味にしました。宣伝文句にびっくりマークの踊る派手な色の洗剤の箱が並ぶ棚の中で、同じ路線で作ると印刷代がかさむ。そのコストを抑えるのと上品で知的な印象にするのは同居する作業でした。その地味さを補うため、「海洋タンカーの事故処理」という、少し衝撃性のあるキャッチを使っています。世界中で日本語のうつくしさを認めてほしいな、という信念が私には昔からあって、「海へ...」は200mL、500mL、詰替え用とまったくアルファベットを使いませんでした。

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上右の「ペットにONE」ボトル

このイラストレーションは思い出深いものです。「犬と私」のページにも書いているけれど、我が家の最初に犬、レインと私と長年デザインを一緒にやってくれているグラフィックデザイナ−、菅っち家の猫、トロがモデル。二匹とも人間ときちんと関係を結び、友人の多い、なかなかに偉大な小動物だったのです。そして二匹とも亡くなってしまった。トロはよく見ると頭の割に胴体が大きい。これは実際そうだったので、いくらか写実的(?)なのです。
ちなみにこの素晴らしい性能のアルカリイオン水の発明者は愛知県在住の数学者(!)の岡島先生です。
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organicorganic cotton

1992年、それまでやっていた「SMART&WOO」という恵比寿西のショップを改装して始まったのが「SENSE OF WONDER」。ご存知の方も増えたと思うけれど、「沈黙の春」で農薬の害について果敢に言及したレイチェル・カーソンの随筆集のタイトルです。
そこに至るまで、アメリカのEcoSport社が自社用に作っていたニット生地のサンプルを持って、イメージとともにいくつかのベビーウエア会社などに持ち込んだり、ちょっとの紆余曲折がありました。
意外なことにみんな関心は示すけれど、事業として乗り出さないという「誰かにやらせて様子を見よう、うまく行きそうだったら後から乗っかろう」という姿勢。
そう、10年少し前の環境ビジネスはそんなものでした。そこでその「誰か」になってくれたのが私の亡くなった父だったのです。父は明治38年生まれ。農薬以前の農家の出身でした。医者でもあったから無論農薬の害についても、皮膚疾患が戦後変化して増えたことも臨床として実感していました。「オーガニックコットンは当たり前のことになるべき」だという私の考えに共鳴してくれて、彼の1千万円という預金を担保に最初の輸入を始めることができたのです。
これが日本という島に初めてオーガニックコットンが上陸した最初になりました。
textile

その後一年半程経ってアメリカの紡績会社から糸を輸入し、日本の織物工場で織ってもらうというルートを作りました。上のシャツジャケットはまさしくその生地。大人のデザイナーズブランドの生地を作っている福田織物さんが作っています。もちろんとてもおしゃれ。今見ても自分でも大好きな仕事です。
一方カットソー(ニット)の方も私が柄を描いて生成りと茶のオーガニックコットンだけでジャカードを編んでもらったりを始めました。1994年かな?昆虫学者のSally Fox氏と会い、日本での紡績、網立て、織りに切り替えたのがその直後です。

recycled cotton

オーガニックコットンでは生成りとナチュラルな茶がメインです。それだけだとファッションとして成立しにくい。下着だけでは売上も生地の消化量も成り立たなかったのです。
そこで始めたのが「リサイクルコットン」。私は「アトピーによい」という切り口でオーガニックコットンを考えませんでした。それは今もそうです。農家の人々が安心して仕事をするために、使わなくて済む農薬を使わない。(農薬のない世の中を作りたい。)そのために価格がしばらくは高くてもがんばって使わないとなぁと思っていた。オーガニックコットンは油分を多く含んでいて(そのままでは吸水性は悪い)、ふっくらざっくりとして(だから縮率も悪い)素材としてとてもやっかいな、しかし魅力的な手応えがあったのです。
リサイクルコットンは使われず廃棄される綿生地をもう一度糸に紡ぎ直す。だから繊維が短くて、その分ゴツゴツするのです。でも片方にオーガニックコットンという旗印を上げて、その補いをするのに通常のコットンというは変。そこで使ってみようということになったのでした。
右のチェックの部分は前述の織物屋さんの仕事。パンツ部分はニッターさんの編んだものです。
上と右の写真は1995年の仕事です。
organic
organicrecycled wool

もうひとつの環境保全型素材にペット樹脂を再加工したフリースがあります。ポーラテック社から発売されたのが1994年かな?その後グンゼから発売されたリサイクルフリースを96年に私も採用しました。
そして左の画像はあまり例のなかった「リサイクルウール」のストライプ生地を使ったもの。1996年の仕事です。イギリスのEvergreen社から生地で輸入して製造したものです。この会社のリサイクル方法がちょっと変わっています。通常のリサイクル繊維は解いて脱色し、顧客(アパレル)の求めに応じて染めるのですが、こちらでは回収した衣類を大まかな色毎に分け、洗って解いて、そのまままた織ります。だから言ってみれば全部が少しミックス。ネップのないツィードようの感じです。脱色という工程をカットすることによって大分エネルギーも軽減されるし、面白い風合いのものができます。

reused fabric

その後、私は縫製工場とのおつきあいの中で「使われないで廃棄される原反」という魅力的な私のもったいない魂を刺激するものと出会いました。それを利用してオーガニックコットンと組み合わせて消化していくというしごとが1997年。その後Sense of Wonderを離れてギャラリーの仕事を始めるのですが、あれは誰かやり続けていてくれるだろうか?そうだったらうれしいな。
そうでなくても10年近く経って「Okara」の仕事を始めた私は相変わらず「もったいない魂」で動いているみたい。

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